今年も多くの方が、二月三日の節分の日に豆まきや恵方巻きの丸かじりをされたのではないかと思います。「鬼は外、福は内」、そうなってくれたらと願いながら豆をまくのですが、現実はそううまくいかないものです。この鬼とは、自分にとっていやなこと、都合の悪いこと、例えば病気、年齢、死、貧乏、失敗、人から嫌われるなどのことでしょう。逆に福とは、自分にとっていいこと、都合の良いこと、例えば健康、美容、お金持ち、名誉、成功、人から好かれるなどのことだと思います。皆さんもおわかりのように、私たちが生きるうえで、自分にとっていやなこと、都合の悪いことは起こらず、自分にとっていいこと、都合の良いことばかりが起きるということはありえません。ですが、やはり「鬼は外、福は内」と願ってしまうのもまた私たちの姿です。今回少し考えてみたいのは、「鬼は外、福は内」と願う自分のこころの姿はどのような姿なのかということです。
「鬼は外、福は内」と願う自分はともすれば、鬼は外にさえ行ってくれればその鬼がどこに行こうとどうでもよく、福が来ることしか見えていない状況に陥ってしまっていないでしょうか。お金も欲しい、物も欲しい、自分さえよければよい、何かあるとひとのせいにする、いつも人と比べて安心したり、腹を立てたり、うらんでみたり、差をつけて見下げたり・・・。福を願う自分のこころが実は鬼になってはいないでしょうか。
お釈迦様は全てのことは縁によって仮にあるにすぎない(縁起)と説いておられます。すなわち、良いことを積み重ねれば良縁が生まれ、悪いことを積み重ねれば悪縁が生まれるのではなく、良いことも悪いことも全てが無数の縁によって生み出され、今がある。悪いことが起こるのも縁であり、良いことが起こるのも縁である。だからこそ無数の縁と向き合い、今の自分を見つめなおし、精一杯生きることが大切なのではないかと説いておられるのではないでしょうか。
残念ながら私たちの生活には「良かった」と思うことより「いやだな」「困ったな」と思う出来事の方が多いかもしれません。ですが、お釈迦様が説かれるように、それらは全て縁によって起こったことで今さらどうしようもないことだ。だからこそ「自分が出来ることをするしかない。何とかなる」とその悪縁を受けとめてみてはどうでしょう。もし、そういった心を持つことができれば、きっと自分の生きる世界の見え方も変わってくるのではないでしょうか。 (宗)
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