皆さんは日々の生活の中で、例えば仕事であれば、「なぜこんなに頑張っているのに認めてくれない?」、「なぜこれくらいのことを部下はわかってくれない?」、私生活であれば、「なぜ夫は私の頑張りに気付いてくれない?」「なぜ妻は自分が仕事に疲れていることに気付いてくれない?」なんて感情を抱いたこと、または口にしたことはないでしょうか?私たちは日々の暮らしの中で、周囲の人に、環境に、過度の期待をしていないでしょうか?他者への過度の期待は、自分自身を息苦しくさせ、目の前で起こっていること(もの)の価値を忘れさせてしまいます。
仏教では、「諸行無常」や「縁起」という言葉でこの世界や私たちの姿をあらわします。この世の全てはとどまることなく常に移り変わっており、原因や条件が相互に関わりあって存在しているという仏教の根本的な考え方であります。そのような中においては、この私も常に変化し続けており、固定した私というものはありません。しかし私たちはこの「ありのままの真実」に気づくことができず、常に自分の欲の赴くままに自分の好き嫌いや、少しでも自分が楽になるように、得するように、などと自己中心的な考え方でのみ物事を捉えてしまっている現状があります。
他者(環境)に対する期待は、「恒常不変な私が存在する」という思い込み、すべてを自己中心的に見てしまう我執(がしゅう)から生じます。我執があることで貪瞋癡(とんじんち)をはじめとする欲望が生まれると仏教は教えます。貪は貪り,瞋は怒り,癡は愚かさや妄想を意味します。例えば,期待をして(貪)応えてもらっても、自分の思いと違えば期待外れとなり不愉快に感じ(瞋)「何もわかってもらえない」(癡)となります。まずはその自己から離れ、相手を認めていくところ、相手を受け入れることが大切であり、そうすることで物事の本質に近づけるのではないでしょうか。
「期待しない」という考え方で日々を過ごしてみると、思うような結果にならなくとも、その原因を自分自身に探し出す習慣がつくのではないでしょうか。少し冷静に、現状を見つめなおして、今身の回りで起こっていることに、当たり前(本当は当たり前ではない日々)と思っていることに、感謝する機会としていただけますと幸いです。(宗教部)
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