光華女子学園

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7月のことば
宝の山に入りて 手を空(むな)しくして帰ることなかれ 『往生要集』 恵心僧都源信

この言葉は,平安時代中頃の僧で日本浄土教の祖と言われる源信僧都(比叡山の恵心院におられたので恵心僧都とも呼ばれた)の言葉で,その著『往生要集』の中にあります。親鸞聖人はこの源信僧都を,お釈迦さまの説かれた,念仏を唱えることによって阿弥陀仏の浄土に往生するという本願念仏(阿弥陀仏の誓願)の教えを正しく伝えてくださった印度・中国・日本の七人の高僧の六番目・第六祖として尊崇されています。
 さて,この源信僧都の言葉は何を教えているのでしょうか。この言葉は,『往生要集』の「大文第一 厭離穢土」の結びにあたる「総結厭相」にあります。源信僧都はこの言葉の前に,人間世界の有様を語っておられます。
それは,今,幸いにして生まれ難い人間世界に生まれきたが,しかし,この世界は変わることのない常住の世界ではなく常に移り変わる無常の世界であり、虚仮の世界である。そうした世界は執着から離れられず,苦しみ・悩む煩悩の世界である,と。しかしいま人間として生まれ,生かされ,仏さまの教えを聞く機会にも恵まれている。この機を逃さず,煩悩に汚れたこの世を離れ,浄土(悟り)の世界に生まれるよう努めるべきである,と言っておられます。そして,その後に「今月の言葉」が続きます。この「宝の山」とは,人間に生まれ,仏さまの教えを聞く機会に恵まれているその「僥倖」をさしているのではないでしょうか。
私はこの言葉から,法会で読まれる「三帰依文」の最初の言葉「人身受け難し,いますでに受く。仏法聞き難し,いますでに聞く。この身今生において度せずんば,さらにいずれの生においてかこの身を度せん。」を思いおこします。光華女子学園は,仏さまの教えを聞く機会に恵まれています。私たちはそうした機会を逃さず,聞思し,手を空しくして終わるような過ごし方をしないようにしたいものです。(宗教部)

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