豊かな智慧が生じる。 中村元訳(『ブッダのことば』282)
心を整えることによって生じてくる智慧があると釈尊は言う。それは、道に世間道と出世間道の二つがあるように(親鸞『教行信証』)、知にも二つあるのだ。まず、主客の関係で知識を積み上げていく世間知、例えば、学問の場合、研究する者がいて、研究対象として自然や社会がある。そこから得られた新たな知識やデータを集めて一つの理論(論考)を纏(まと)め上げる。この構造が世間知であり、学問というのも世間知の範疇(はんちゅう)を超えるものではない。それに対して、主客の認識構造を断じたところが出世間智であり(それを「真智」という)、仏教が説こうとしているのはもちろん後者である。というのも、仏教はわれわれを世間(生死輪廻する世界)から出世間(涅槃(ねはん)の世界)へ連れ戻そうとしているのであり、そのための智慧を出世間智といい、それは誰もが本より具えているというのが、釈尊の悟りであったのだ。
では、何がわれわれをして出世間智を知る妨げになっているかというと、主客の認識の根底にある心(分別心)なのだ。といっても、それはわれわれが普通に心と呼んでいるものであり、是非・善悪を論じ、富貴を計りながら、徒(いたずら)に混乱し、われわれを永く生死輪廻の絆(きずな)に繋(つな)ぎ止めている心である。そこで釈尊は、この妄(みだ)りに物に移り、物に誑(たぶら)かされる心(妄(もう)心(しん))を統一して、生と死の彼方にある心の本質(真心、本心)を知ることができたら、われわれは生死の軛(くびき)から解放され、豊かな智慧が生じるであろうというのだ。今日、私たちの社会は知識(世間知)に偏重する余り、主客の認識以前の智慧(出世間智)について語られることは殆どない。前者が不要であるというのではなく、それは世渡りの手段であって、仏教は後者を知る時、人は「生死の苦海」(親鸞、慧能)を渡り、涅槃の岸に至るであろうことを説いているのだ。(可)
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