一年で一番寒い時期を迎えました。通勤や通学者のマフラー姿をよく見かけます。このマフラーですが昔は襟巻きといいました。襟巻きで思い出すのが、とんちで有名な一休さん(一休宗純禅師 以下「一休さん」と表現)が寛正二年(1461)本願寺で営まれた親鸞聖人の二百回忌法要にお参りされたときに詠まれた「襟巻きのあたたかそうな黒坊主こやつが法は天下一なり」という歌です。親鸞聖人の御木像黒漆で塗られているところから、一休さんは親鸞聖人のことを『黒坊主』とか『こやつ』と詠んだといわれています。他宗派の禅僧であったにも拘わらず「この人の教えは天下一だ」といえる一休さんはすごい方ではないでしょうか。
この一休さんは臨済宗大徳寺派の禅僧でしたが、本願寺八代の蓮如上人とは宗派を超えて同時代を生きる(年齢差約20歳)友としての出会いがあり、非常に仲が良かったともいいます。
二人の間で交わされた歌がいくつか残っています。
例えば、一休さんは浄土三部経の一つである『仏説阿弥陀経』に極楽が「従是西方過十万億仏土」(これより西方に十万億仏土を過ぎて)と説かれていることを指して、「極楽は十万億土と説くならば足腰立たぬ婆は行けまじ」(足腰も立たないようなお年寄りにはとても行けないのではないか)と詠んだのに対し、蓮如上人は、「極楽は十万億土と説くなれど近道すれば南無のひと声」(極楽は遠いと言われているけれども南無阿弥陀仏と念仏一つ称えれば行ける近道があるのだ)と返されています。
確かに自分の力で極楽へ往けと言われればとても十万億仏土の極楽へはとても往くことはできません。しかしお念仏を称えたならば、『今のこの状態』が浄土へ通じているということですのでこの上ない近道となります。
一休さんにはこんな逸話もあります。一休さんがあるお寺の住職をしているとき、日頃のつきあいのない檀家の主人が亡くなったのでお経を頼まれたときの事です。
一休さんは亡くなった主人の前に行くと家の者に金づちを持ってくるように頼み、金づちを手にすると、亡くなった主人の頭をたたいたそうです。もちろん痛いとも言わないし反応がないそれをみた一休さんは「もう、遅い、手遅れだ」と言いました。帰りかけた一休さんをみた家の人がお経をあげてくれるように頼むと「もう手遅れ、死人に用はない」と言って帰ってしまったということです。
つまり一休禅師は亡くなってからお経をあげるのではなく、生きている間にお経をきくべきであると言っているのです。
日頃の忙しさにかまけてお経を聞くことを忘れている私たち、またお念仏を称えることを忘れて自分勝手な毎日を生きている私たちに対し、本当の仏の道の基本を一休さんが私達に教えて下さっているのではないでしょうか。
最後に一休さんの「成仏は 異国本朝もろともに 宗にはよらず こころにぞよる」
つまり「仏になることとは どんな国や身分に生まれたかは関係がありません。また宗派によるものでもありません。何が大切かと言いますとその人の心が大切なのです」と述べられています。
私たちの生き方を振り返った時、果たしてどんな生き方をしているのでしょうか。それぞれが考えてみることも大事ではないでしょうか。 (宗)
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