10数年ぶりに、三浦綾子さんの『塩狩峠』という本を読み直しました。
この小説は、自ら命を投げ出して列車事故を防いだ鉄道員の話で、根底にはキリスト教の教えが説かれ「一粒の麦、地に落ちて死なずば、ただ一つにて在らん」という聖書の言葉の引用と共に「自己の犠牲」がテーマとなっています。実話がモデルとなっているこの小説からは、信仰というものが持つ力や、信仰に生きるという生き方を改めて考えさせられました。
さて、この小説の中に、主人公の鉄道員が想いを寄せるふじ子という足の不自由な女性が出てきます。その女性の兄と主人公が話す場面で、次のような会話があります。
「世の病人や不具者というのは、人の心をやさしくするために、特別にあるのじゃないかねぇ。」
「もしこの世に、病人や不具者がなかったら、人間は同情ということや、やさしい心をあまり持たずに終わるのじゃないだろうか。(略)病人や不具者は、人間の心にやさしい思いを育てるために、特別の使命を負ってこの世に生まれてきているんじゃないだろうか。」
そして、「ふじ子(病人や不具者)のようなのは、この世の人間の試金石のようなものではないか。どの人間も、全く優劣がなく、能力も容貌も、体力も体格も同じだったとしたら、自分自身がどんな人間かなかなかわかりはしない。しかし、ここにひとりの病人がいるとする。甲はそれを見てやさしい心が引き出され、乙はそれを見て冷酷な心になるとする。ここで明らかに人間は分けられてしまう。」
思いやりとは自然に湧き出す心の在りよう。私はそう思います。しかし、その人のそれまでの生き方や、その時々の心の状態で、思いやりを持てたり持てなかったりと、心の状態は変化します。
様々な事象に会う都度、人は試金石のようにその時々の心の在りようが図られるのでしょう。さて、私たちの今の心の在り方は、真に自分に誇れるものでしょうか。
自らに正直に、その上で自らに恥じない心を持ち、人のことを思いやれるような生き方をしたい。心の在りようで自分の世界は変えていける。そのようなことを考え、自らの心の在り方を振り返る機会となった一冊でした。(宗教部)
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