桜の開花とともに新たな学びの仲間を迎えて、共に新たなる第一歩を踏み出す季節となりました。今日を迎えられたということは、多くの先生や友人、家族、その他の有縁の方々のおかげであることをどうか忘れないでほしいと思います。これから歩まれる道は、未知との出遇いの連続となることでしょう。その中には、よき師、よき友、新たな知識、そして、これからの人生を決定する大きな出遇いもあるでしょう。人は出遇いとともに成長するものです。その出遇いを通して自分が進むべき道をしっかりと見定めてください。
このお言葉は『歎異抄』の「第二条」の一節です。念仏の教えに不安と疑念を抱き、いのちがけで関東から遥々京都まで訪ねてきた人たちを前にして親鸞聖人は次のように言われました。―このわたし親鸞におきましては、「ただ念仏して阿弥陀如来にたすけられなさい」という、よきひと(法然上人)の仰せをいただいて、そのとおり一筋に信ずることがすべてです。その他には何もありません。たとい法然上人に騙されて念仏して地獄におちたとしても断じて後悔することはありません。― と明言されたと記されています。
親鸞聖人においては二十九歳の時、よきひと(師)である法然上人と感動に満ちた決定的な出遇いをされました。この出遇いを通して念仏もうさんとおもいたつ心が湧き起こり、念仏する身となられて「煩悩具足の凡夫」である自分のために大きな願いがかけられていることに気付かれました。この出遇いの感動と感謝のこころを憶念しながら、よきひとの仰せのままに一途に信じていかれました。後にこの法然上人との出遇いがなかったならば人生が空しく過ぎたであろうと振り返っておられますし、どんなことがあっても決して後悔しないとまで断言できるほど師に対して決定的な尊崇と信頼を託されました。
私たちの人生には数多くの出遇いがあります。何気ない出遇いもあれば、劇的な出遇いもあります。親鸞聖人と法然上人のようにたった一人の人との出遇いが人生を根底から変えることもあります。仏教とは出遇いの宗教であると思います。様々な他者と出遇い、真実の教えに出遇い、それらを通して本当の自分自身に出遇うことだと思います。本当の自分自身との出遇いがないままに私の人生を生きるということにはならないのではないでしょうか。「何のために生まれてきたのか」「どう生きるのか」「本当に大事なことは何なのか」そのことを考えることにより本当の自分自身が明らかになると思います。
すべての方々が、よきひと(=真実の教え)とのかけがえのない出遇いを通して、本当の自分自身に出遇われること、そして、その一切を成り立たせている大きなはたらきに出遇われることを切に願います。(宗教部)
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