人間は 自分の心に 自分が縛られている
こんな話をよく聞きます。今日は「お日柄が悪いので、○○をしない」とか、「今年はあの方角が悪いので、その方向へは旅をしない」、「お念珠の紐が切れた。何か悪いことが起こるのではないか」等々です。これは、耳にするだけでなく、私たち自身もこうしたことを気にかけ、迷い、振り回されてはいないでしょうか。今月のこの言葉は、私達のこのような状態を表した言葉です。
仏教に「無明(むみょう)」という言葉があります。その意味は、人生や物事の真相に明らかでないことを言います。それは、総ての存在は無数無量の因縁によって存在しており、総ての事象はこの因縁から起こるということ(縁起の道理)に気付けていないのではないのでしょうか。それ故に、私たちは、自分の都合のよいことを願い、都合の悪いことは悪として忌むという生き方になっているのです。自分の都合に執らわれ、自分を縛ってしまっているのです。それは自分自身を煩わせ、悩ませる原因となっているのです。
そうした生き方から解放されるには、如来(阿弥陀仏)の智慧の光(無明の闇を破る恵日とも)を求めていく生活、すなわち仏教を聴聞していく生活が大切ではないでしょうか。
私は、親鸞聖人の弟子、河和田の唯円の著した『歎異抄』第七条の「信心の行者(念仏者)には、天神地祇も敬伏し、魔界外道も障碍することなし。罪悪も業報を感ずることあたわず。諸善もおよぶことなきゆえに、無碍の一道なりと云々」を自らの生活の中に味わっていきたいと思っています。(宗)
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