今月は「忍」を取り上げました。少し前には想像もしなかった厳しい現実への対応を求められる日々の中で多くの「忍・忍耐」を重ねている方も多いと思います。そのような時に恐縮ですが、しばしお付き合いください。
仏教で「忍」は二種あります。一つは、苦痛に耐え、他者からの罵倒や侮辱にも怒ることなく耐え忍ぶこと。もう一つは法(真実、教え)を深く考察するに耐えることです。このような「忍」は修行上の重要な徳目とされ、「忍耐は最高の苦行」(ダンマパダ184偈)、「真実、心を整えること、施捨、忍耐よりすぐれたものがこの世にあろうか」(スッタニパータ189偈)とも言われています。また、仏陀釈尊は「忍耐論者(忍耐を説く者)」(長部「涅槃経」など)と呼ばれることもあります。
苦痛や害に耐える「忍」はしばしば「柔和」や「慈悲」と共に語られることから、苦しみに対する怒り等の感情に気づき、その感情を生み出す自分の心を見つめることで、感情に縛られず他者に開かれた心を目指しているといえます。では「法を深く考察するに耐える」とはどのようなことでしょうか。
「チャンキー経」(中部経典,片山一良訳、423-446)という経典で、宗教者階級バラモン出身のカーパティカが、バラモン教(ヴェーダ)が古くからの伝承に基づいて何が真実で何が虚妄かを判断していることについて釈尊に質問をしています。16歳の若き彼にとって、自分が生きていく伝統における真実の判断の仕方に疑問があったのかもしれません。釈尊は「私はこれを知っている、私はこれを見ている」という根拠がないならば、それは虚妄であり空虚であると答えます。「これが真実である」と言う者に対して貪り・怒り・愚痴の心がないかを確かめことに始まり、意欲を持ち自ら学び続けることが必要と釈尊は語ります。この意欲を生み出すのが「法を深く考察するに耐えること」とされています。
私たちは、自分なりの考えや理解にこだわり、何が真実かや何を大事にすべきかを見失うことがあります。あるいは、自分と異なる考えを理解することが、不快であったり苦痛と感じたりすることもあります。フェイクニュースが流行るのも、不安や怒りなどの感情に飲み込まれて、目先の答えに飛びついてしまうからでしょう。しかし、自らの不安や怒りを乗り越えるためには、嘘やごまかしではなく、一つ一つ事実を確かめ考えることに耐える必要があります。耐えて学び、心を開いていくことによって、今の不安から少し解放され、学び続ける意欲を生み出すのでしょう。このように「忍」は、心も知恵も鍛錬していくものであることを教えてくれているといえそうです。
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