不死の底に達した人を我はバラモンと呼ぶ。(『ダンマパダ』410)
仏教は、われわれの陥(おちい)り易い誤ったものの見方に 常見(じょうけん)と断見(だんけん)があるという。前者は、東洋によく見られるもので、人は死んでも魂(私)は不滅であって、永劫回帰などをいう。一方、後者は、人の命はこの世限りのもので、死ねばすべては滅び、死後の世界はもちろん、因果の法則もないというものだ。因みに、もしあなたが虚心に自らを顧(かえり)みれば、自覚の有無はともかく、このどちらかに基づいて人生を歩んでいるはずだ。
最近では、臨死体験者の報告などから、人間は死んでも終わりではないのかと思い、常見に飛び付く人々がいる。しかし、殆(ほとん)どの人は肉体が滅びればすべては終わりという断見に傾いていよう。常見を採る人々は輪廻転生(りんねてんしょう)を言い、死後の世界を説くことが人間の秘密を解き明かすかのように錯覚し、一方、断見は、私利私欲に走る世相がよく表しているように、浅はかな現世至上主義になり易い。しかし釈尊は、どちらの立場もとらないというので、現世を望まず、来世を望まずと言ったのだ。なぜなら、現世と来世、いずれも超えた生と死の彼方にある「不死の境地」を目指しているのが仏教であり、そこに到達した人を彼はバラモンと呼んだのだ。
かく生死を超えることを親鸞は「横超断四流(おうちょうだんしる)」と言ったが、五悪趣(人間も含まれる)の絆を横さまに断ち切って、四生(ししょう)(胎・卵・湿・化)の流れを離れ、彼岸に至るという意味である。本来、仏教に限らず宗教は、常見と断見のいずれでもなく、現世を望まず、来世を望まず、不死の底に達した人であろうとしているのだ。そして、その可能性はあなたが現世・来世のいずれに在ろうとも、常に、あなたの今ここということになる。言い換えれば、生死を離れ、仏と成るのは常に今ここであり、努め励むべきも今ここしかないのだ。(可)
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