あけましておめでとうございます。年を越しても未だ、新型コロナウイルス感染症の収束の兆しが見えず、感染不安や新しい生活様式によるストレスを感じる状況は続くと思われますが、令和五年の新しい年を迎え、夢と希望、新たな決意を胸にスタートを切ろうではありませんか。
今月は、波乱万丈の生涯の中で、念仏の教えに帰依され、求道の苦悩や真実に出会えた喜びを綴った多くの詩(念仏詩集)を残された念仏者、木村無相(きむら むそう)さんのことばを紹介します。
新年を迎えましたので、まずはこのことばを紹介します。
「元旦や 今日のいのちに 遭う不思議」
このことばは、みなさまもどこかでお聞きになられたことがあるかと思います。
私たちは多くのめぐみやおかげさまの中で生きていることをわかっていても、今ここにある私の「いのち」は、当たり前のこととして、自分の中で捉えてしまっているものなのです。そんな無知でどうしようもない私たちは、元旦を迎え、生きている(生かされている)こと、「いのち」に今日も遇えたことを「不思議」と受け止め、報恩感謝の生活を営むことが大切であると、このことばから教わることができるのです。
また、念仏詩集には、「ぼんのうよ」という詩があります。
「ぼんのうよ―― わたしが わるいのだ ぼんのうは わたしの いうまま
ぼんのうは わたしの おもうまま ぼんのうよ―― わたしが わるいのだ」
この詩は、読み返せば読み返すほど、深い気づきを得ることができます。みなさまはこの詩を読まれてどのように感じられるでしょうか。煩悩というのは人の醜い部分であり、苦悩の原因でもあります。私たちは、この煩悩への考え方について、ともすれば、自分だけではなく誰にでも存在する「煩悩」自体が悪であると捉え、「煩悩」という何か別のものが、自分というものに作用しているのではないか、よって苦悩の原因は自分のせいでは無いのだと、潜在的に考えてしまっているのではないでしょうか。
この詩は、煩悩というのは私がコントロールしているもので、自分そのものであり、生きていく上での苦悩の原因は、やはり「自分そのもの」なのですよと、説かれています。
誰もが迷いなく、希望や目標を持って人生を歩みたいと思うものですが、私たちはそれぞれに思い悩み、不安を感じ、前に進めない経験をするものです。
そんなとき、仏道に光を見いだされ、自身を厳しく見つめられた木村無相さんの詩の一つひとつから、大切なことを学ぶことができるのです。
宗教部
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