光華女子学園

今月のことば

平成15年4月のことば
眠れる者たちの中にあって、
 よく目覚めてあれ。中村元訳(『真理のことば』29)

仏教は目覚めの宗教であると言われる。悟りを開いた釈尊を、真理に目覚めた人という意味で、覚者と呼ぶのもそのためである。一方、眠れる者とはわれわれ人間を指しているが、その私たちに彼は、よく目覚めてあれ!と注意を促しているのだ。
その真意を問う前に、真理に目覚めるとはどういう体験をいうのであろうか。それは夢の眠りから目覚めるようなものと言えるだろう。というのも、夢の中を彷徨っていた者が目を覚ますと、夢は消え、現実(日常)に戻るように、この現実という夢(それを老子は「大夢」という)から目覚め、もう一つの現実(真理)を知ること(同じく「大覚」という)であるからだ。つまり、釈尊は、私たちは眠りにつくと夢を見るが、私たちが現実と見なしているこの世界もまた夢のようなものと解しているのだ。それは仏教に限らず、宗教的覚醒を得た、いわゆる覚者たちは一様に「この世は夢の如し」(ルーミー)と言う。
すると、目覚めには二つある。一つは私たちがよく知っている、夜の眠りから目覚め、新たな一日が始まるというものだ。この日々の繰り返しが生(人生)に他ならないが、この全体が夢の如きものであると説いているのが宗教なのだ。それに対して、夢の延長に過ぎない、いわゆる現実(日常)から更に目覚めることによって見えてくる真実の世界(真理)があるのだ。釈尊が、眠れる者たちの中にあって、よく目覚めてあれと言うのも、後者を指しているが、夢を見るのは、いずれにせよ眠れる者に限られるからだ。そして、真理(真実の世界)は、私たちが悟ろうが、悟るまいが、法(ほう)爾(に)として常に存在し、それを空海は「法然の有」と呼び、親鸞は自然法(じねんほう)爾(に)の世界と言う。(可)

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