先日、本学園の奨学会(保護者会)が児童・生徒・学生と保護者対象に行った教育講演会でシンクロナイズドスイミングの井村雅代さんのお話をお聞きする機会がありました。ご存知の通り、井村さんは日本代表コーチとして多くのメダリストを育てられ、リオオリンピックでも日本代表を銅メダルに導かれたことは記憶に新しいのではないでしょうか。
講演会で井村さんが一貫しておっしゃられたことは、大きな目標を達成するためには、技術的・身体的な成長を追い求めるトレーニングも大事だが、実は目標に向かって頑張り続けられる「こころのトレーニング」が一番重要だということでした。 これとよく似た話をMBLで活躍されているイチロー選手も対談で語っておられます。
イチロー:(野球がうまくなるコツの)情報が多すぎてどれをピックアップしていいかという問題はあります。
対談者 :まぁ今そういう時代で知識がありすぎる。
イチロー:頭でっかちになる傾向はあるでしょうね。
対談者 :でも、最短でいける(うまくなる)可能性もあるじゃない。
イチロー:無理だと思います。
失敗をしないで、まったくミスなくそこにたどり着いたとしても深みは出ない。
単純に野球選手としていい物になる可能性は、僕はないと思います。
単純に野球選手としての作品が良い物になる可能性があったとしても、やっぱり遠回りする事って大事ですよ。
無駄な事って結局無駄じゃないっていう言葉が大好き。今やってる事が無駄だと思ってやってるわけじゃないですよ。無駄に僕は飛びついているわけじゃないですけど、後から思うと無駄だったという事はすごく大事なこと。
だから合理的な考え方ってすごく嫌いなんです。
遠回りすることが一番近道だと信じて今もやっています。
人は「果」を求めるものです。「果」を出すために何をすれば良いのか、しかも最短の方法でということを求めてしまいます。仏教ではこうした考え方に対し、「果」を求めない生き方を説いています。自分は何がしたいのか。結果をあれこれ考えるのではなく、ましてや人と比較してどうだということでもなく、まず自分の問題として自分がどうしたいのかということをしっかりと見極め、それに向かって精一杯努力をすれば良い。そうした生き方こそが自分にとっての「果」であるという考えです。
「果」だけを求めていると、人は近道をしたがるものです。近道をしてしまうと本来の目標を見失うかもしれませんし、結果によってはやる気も次第に失せていきます。大切なことは「本来の目標に向かおうとする意志」ではないでしょうか。その意志さえあれば、何回失敗しても、目標に向かって歩み続けているのだから、いつかは目標を達成する。このような心掛けで生きていきたいものです。(宗教部)
過去のことば
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年