光華女子学園

今月のことば

7月のことば
和順館

 今月はことばではなく、小学校と中学校の校舎として2022年3月に竣工した「和順館」の名称についてお話をしたいと思います。

 

 無量寿経の三毒五悪段の後半部分に「天下和順し日月清明(にちがつしょうみょう)にして、風雨時をもってし災厲(さいれい)起こらず。国豊かに民安し。兵戈(ひょうが)用いることなし。徳を崇め(あがめ)仁(にん)を興し、務礼譲(まつりごとらいじょう)を修す。」という一説があります。この五悪段は初期の経典にはなく、後に中国で加筆されたのではないかと言われておりますが、和訳は、仏が遊行するところは「天下はおだやかに治まり、日月の光はさやけく、風雨はほどよいときに訪れ、天災や疫病も起こらず、国は豊かに民は安らけく、兵器を用いることもなく、徳を尊び仁を盛んにし、礼儀に厚く人に護るという心をつとめて養うようになった」(中公文庫(山口益訳))ということです。

 

 天下和順は多くの人々の願いであり、実際にそうなれば素晴らしいことだと思います。しかし、私たちの願いである天下和順を、私たちが自らの力で実現することができるのでしょうか。誰しもが和順を願う一方、無明の闇(むみょうのあん)に包まれる私たちは自らの「我」の中にある和順に捉われ、その和順に反することを他者の責任、社会の責任、時代の責任とし、時に排除しようとし、時に妬み嫉み、時にあきらめるなどしてしまいます。

 

 現代に至るまで世界中でさまざまな紛争が起き、その都度それを教訓にいかに防ぐかという人間の知恵が積み上げられてきました。その結果、グローバル化が著しく進み、大きく進歩したかに見えるこの21世紀において、まさか今回のロシアによるウクライナ侵攻が現実に起こるなど多くの方が思わなかったのではないでしょうか。縁が満ちれば私たちの誰しもがロシアになってしまうという現実を、改めて気づかされた次第です。自分のことしか見えていない私たち。我に捉われ、縁が満ちれば善にも悪にもなってしまう存在の私たち。願っても願っても、自らの知恵では和順足りえない私たち。こうした無明の闇のなかにいる私たちの姿に気づくことができれば、一歩を踏み出す前に踏みとどまり、さまざまな争いを回避し、和への一歩へと歩みを変えることができるかもしれません。

 

 蓮如上人御一代記聞書に「信をえたらば、同行にあらく物も申すまじきなり、心和らぐべきなり。・・・また信なければ、我になりて詞もあらく、諍ひもかならず出でくるものなり・・・」という言葉があります。信を得る、すなわち凡夫であることの自覚が和への第一歩です。そしてこの信は、仏の本願の光を受け、仏のはたらきに頷くことによってはじめて得ることができるのです。

 

 2022年3月、小学校と中学校の児童、生徒が学ぶ新校舎が竣工しました。隣にあるのは仏さまの本願の働きを意味する「光」を冠する光風館という建物です。先ほども触れたとおり、今この瞬間にもロシアによるウクライナ侵攻という世界を震撼させる事態が続いています。この新校舎で学ぶ未来ある子どもたちが、仏さまの光に触れることで無明の闇を破り、自らを見つめ、一人ひとりが本当に大切なことに気づかれることを願っております。子どもたちが同朋としての歩みを踏みだし和らぎのある生活を過ごされることを、そして子どもたちが創る世界が「和」のある世界となることを念じ、校舎名を「和順館」といたしました。(宗)

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