自分で背負って 生きさせてもらう (東井 義雄)
このことばは、「いのちの教育」を信念とされた教育者であります東井義雄先生の数多く残されたことば(教え)のひとつです。
東井先生は、常に子どもの側にある教育を目指され、子どもの命を輝かせる教育を実践された方であり、真実を見極める眼差しであらゆる事象を見ていかれた方でありました。
私達は、さまざまな出来事に突き当たり、苦しみ、思い悩み、時にはそこから逃れたくなることがあります。しかし、結局は、現実を受け入れた上で自分自身がその対処方法や解決策を見出し、乗り越えなければなりません。決して荷を降ろすことはできません。眼には見えないけれど背負いきれないほどの重い人生の荷を背負って生きるほかないのです。
私達が背負っている最も大きくて重い荷は、自分では思い通りにならない「生老病死」と いう問題ではないでしょうか。この荷は、決して他者に背負ってもらうことはできません。 たとえそれが血のつながった親子であったとしても、親が子どもの荷を代わりに背負って やることはできないのです。
それでは、その荷を背負いきれないと感じた時、何を拠り所にしたらよいのでしょうか。 それは、釈尊、宗祖親鸞聖人が顕かにされた仏教の教えにあるといえます。そもそも仏教の基本は、人間として避けることのできない根本問題である「生老病死」の苦悩、不安、痛みといかに向き合い、どのように越えていくか、その道を見出すことであり、そのことを通して真実の教えに出遇うことであるといえます。この仏教が教えるところの理念、智慧、方法をもって乗り越えていくことができるのではないでしょうか。また、決して孤独ではなく、必ず摂めとって、見放すことなく、支え続けてくれているものがあることに気付くことができます。このような世界に生かされていることを実感することによって、苦難を乗り越えていくことができるのではないでしょうか。
仏教の教えとは、自分の荷を代わりに背負ってくださる方がいてくださるとか、荷を降ろす方法があるという教えではなく、すべてのいのちの関わりの中で、数限りないご縁によって、ただ今、この瞬間に起こった出来事に対して、その縁が自分にとって都合のいい縁であっても、都合の悪い縁であったとしても、すべてをそのまま縁として受け入れ、向き合い、そして乗り越えていくことのできる教えだといえます。
東井先生は、この真実の教えに出遇われて、その教えを通して自分自身の真の姿を見続けられながら、いのちの教育を実践していかれたのではないでしょうか。(宗)
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