今月の言葉は、明治時代の真宗大谷派の僧侶で、大谷大学初代学長である清沢満之先生の言葉です。清沢満之先生は、歎異抄第3章に出てくる有名な一文、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」という悪人正機の教えを、「悪人を憎む善人は、実力なき善人なり」という言葉で表現されました。それではここで言う「悪人」、「善人」とはどういう者のことでしょうか。
私たちは普通、出来る限り悪い行いをせずに良い行いをしようと心がけていると思います。その心がけは良いのですが、自分は良い行いをしているという思いが強すぎると、他人をみてついつい「私はちゃんとしているのだから、あなたもちゃんとしてよ」と言ってしまいがちです。言われた側も「こっちもちゃんとやってるわ。そっちこそしっかりしてよ」と言い返し、揉め事になることも多いのではないでしょうか。良い行いをする者が善人であれば、これは善人対善人という不思議な争いとなります。一方、「ごめん。ごめん。悪かった」と言うと、相手も「いやいや、こっちこそ悪かった。ごめんな」となり、悪い行いをした者同士で、人間関係が円滑になることも多いのではないでしょうか。先日、TVのニュースを見ていますと、東日本大震災の被災地にボランティア活動をしに行った方が、「折角遠方から来たのにあまり活動ができなかった」とぼやいておられました。その方も本当に被災された方に何かできないかという善意の気持ちでボランティアに来られたと思うのですが、ついつい自分の善意が満たされないことに不満を覚えられたのだと思います。
私たちは、自分は良い行いをする「善人」であり、それを理解できない周りをみて「悪人」と思い込んでしまいがちです。しかし、少し謙虚な気持ちを持って、自分も悪人であると捉えてみればどうでしょう。そうすると、今まで気づかなかった周りの世界が見えてきて、自分の言動にも変化が現れるのではないでしょうか。そしてその謙虚さを見た周囲からの見られ方も変わってくると思います。
私たち人間は、どんなに良い行いをしようと心がけても、間違いや過ちを必ず犯してしてしまうものです。そして、なかなかそのことに気づかず、自分は間違っていない、正しいと思いがちです(善人)。しかし、自分は「どんなに心がけても過ちをおかしてしまう存在である(悪人)」ということが自覚できた時、はじめて謙虚になれ、周りに対して素直に頭を下げることができるようになれるのではないでしょうか。清沢満之先生は、なかなか謙虚になれない存在の善人を「悪人を憎む善人」と表現され、「謙虚さが大切なのですよ」と示されたのではないでしょうか。(宗)
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