この言葉は、親鸞聖人が著した『愚禿鈔』(真宗聖典p423)の言葉で、「私の心は、外見では賢く振舞っているが、その中身は煩悩にまみれ、愚かである」という意味です。
親鸞聖人は自らを煩悩だらけの愚かな凡夫として「愚禿釈親鸞」と名乗りました。愚は愚者の自覚、禿は破戒僧(戒律を破った僧侶)、釈は釈尊の弟子を表し、愚かな僧侶であるからこそ釈尊の弟子でいられることを表しています。
親鸞聖人は仏教を学んでいく中で、自分が自分のことをいかに分かっていなかったかということを知り、自分の愚かさに気づいていきました。
私たちは、つい自分を良く見せようと、本当の自分を隠して、理想の姿を装ってしまうことはないでしょうか。そうしているうちに、偽ることに疲れてしまったり、時には本来の姿を隠している自分に嫌気がさしてしまうこともあるでしょう。
「今を生きることに目を背けないで 決してきれいなことばかりじゃないだろう」(本学テーマソング)
生きていると、楽しいことばかりではありません。悩み、苦しみ、ときには辛く悲しいときもあります。人間関係がうまくいかず、誰かに腹を立てたり、そねみ妬むこともあるでしょう。しかし、そんな自分を隠して、誤魔化してばかりいると、本当の自分の姿がわからなくなり、自分を見失ってしまいそうになります。偽った自分を見逃さず、しっかりと見つめてほしいのです。
「ゆっくりでいいよ、でもあきらめないで、決して自分を嫌いにならないで」(本学テーマソング)
自分自信を見つめるということは、自分を悪く評価するということではありません。自己と向き合う中で自分の弱さや傲慢さに気づき、落ち込んだり、反省したり、苛立ちを覚えることもあるでしょう。しかし、決して自分を嫌いにならないでください。ありのままの自分を知り、それを受け止めていく。そうやって自分自身と丁寧に向き合い続けていくことが大切なのです。
親鸞聖人のこの言葉は誤魔化し続けて本当の自分がわからなくなっている私たちに、一人ひとりの生き方が問われているのではないでしょうか。(宗教部)
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