ヴァンギーサ(婆耆舎)というブッダの弟子がいました。彼は吟遊詩人として遍歴の旅の途中でブッダに出会い出家したとされています。経典には、ヴァンギーサがブッダの教えを自分なりにまとめて詠った詩がいくつか残されています。今月取り上げたのは、ブッダが「よい言葉」とはどのようなものかを説いたのを受けて、ヴァンギーサが詩にして詠った箇所です。
1年生の授業で日常の中で違和感を覚えていることをあげてもらうことがありました。課題の意図は、自分が生活の中で感じている違和感をごまかすことなく、それについて調べ考えていくことで、世界を少しよいものに変えていくことができ、そのための基礎力を身につけるのが大学の学びであることを知ってもらうことでした。そうして上がってきた「違和感」の多くは「誹謗中傷」でした。SNSが身近な学生たちにとって、ネットの中で繰り広げられる「誹謗中傷」は、彼女たちを臆病にさせるほどリアルなものなのでしょう。
コロナ禍の出口が見えない今の状況は、一層不安を掻き立て、人と人との関係を過敏にさせていきそうです。わたしたちは不安ゆえに、互いに傷つけ合うしかないのでしょうか。
ヴァンギーサはブッダの教える「よい言葉」を、言葉を発する自分と受け取る相手の双方の視点から語ります。互いに苦しむことなく、傷つけない言葉を語るには、自分が相手に伝えようとしていることを一度振りかえる必要があります。相手にどう受け取られるか、相手の立場にもならないといけない。つまり、「良い言葉」は、感情のままに発せられるものでもなく、相手を通じて自分の内面を見つめる時間を必要とします。
後に阿羅漢(修行段階の最上位)に到達したヴァンギーサも、出家直後は、女性の姿を見て欲情したり、師匠がいないときに気持ちがフワフワしたり、あるいは、詩人で口が達者だったのでしょう、口数の少ない僧侶をバカにする気持ちが生じたようです。しかし、その都度、自分の感情の揺れ動きに気づき、ブッダの教えた心のあり方を振り返りそれを詩にして自らに語りかけることで乗り越えていきました。
いま時代は大きく動いています。もう元に戻らないこともあるでしょう。この状況に対応するために、そしてそのための技術に追いつくことに精一杯になってしまう毎日ですが、だからこそわたしたちは共にある人を通して、自分自身の内面を見つめる余裕を持つよう意識しなければならないのでしょう。(宗教部)
中村元『仏弟子の告白』223頁/中村元『ブッダのことば』92頁/片山一良『相応部』2巻、280頁
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