請う勿れ、求むる勿れ、
なんじ、何の不足かある。(「絶対他力の大道」)
なんじ、何の不足かある。(「絶対他力の大道」)
仏法を求めるとは一体どういうことであろうか。それを知るために『法華経』の中に説かれている「長者窮児の譬え」がヒントになるかもしれない。長者とは父を窮児はその子を意味しているが、実は「長者は自ら財宝、無量なり」と言われるように仏を象徴しています。その子である私たちは(一切衆生は皆、これ吾が子なり)、父の家(仏の家)を離れて三界生死の世界をさ迷い、さながら乞食のように、あれもこれも手に入れようとするが、いつも何かが欠けているのだ。
長者の家の子となりて
貪里に迷うに異ならず
この貪里(私たちが今いる娑婆世界のことであり、また火宅の世界とも言う)に迷う欠乏を裏返したものが欲望であり、その欲望と不満は私たちが父の家に帰り着くまでなくならない。そして、父の家とは実は私たち自身の内側であり、真理(仏法=仏性)はすでに私たちに具わっている。つまり、私たちに欠けるものは何もないということだ。この円に具わる内なる真理を親鸞は「功徳の宝海」と呼び、禅の思想家馬祖は「自家の宝蔵」と呼んだ。すると、仏法を求めるとは、何ら欠けることのない私たち自身の内なる真実に気づくことであり、その時すべての欲望は消え去り、少欲すらもないというのが、仏教に限らず宗教一般の体験なのである。
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