宗祖親鸞聖人750回御遠忌を記念して制作された「宮崎哲弥 こころのすがた」というBS放送の番組があります。この番組は、ナビゲータの宮崎哲弥氏が「現代人の生き方」についてさまざまな分野で活躍されているゲストをお迎えし、日々の身近な話題や出来事についての考えを伺いながら、さまざまな事件や社会の風潮に対してどう向き合うのか、どうあるべきなのかを考えつつ、ゲストが紹介するこころのキーワードを通し、「生きるヒント」を提供する番組です。今月のことば「尽くす」は、ゲストとして迎えられたピアニストの仲道郁代さん(ジュネーヴ国際コンクール、エリーザベト王妃国際コンクールなどに入賞し、ニューヨークのカーネギーホールでリサイタルをされるなど、日本はもとより、海外でも非常に評価をされているピアニスト)が、こころのキーワードとして紹介された言葉です。
仲道さんは「尽くす」ということは、心を尽くすということで、全てを受け入れて、自分なりに惜しまないで尽くすことである。「尽くす」ということに対象はなく、人であり、自分であり、行為であったりする。それは「何かに対して何かを尽くす」という限定的なものではなく、最後の瞬間まで自分の全てを尽くすという、自分の心の動き・作用のことであると話しておられました。皆さんは仲道さんが紹介された「尽くす」という言葉を聞いてどのように感じられましたでしょうか。
仏教言葉で「自利利他円満」という教えがあります。「自利」というのは自分が幸福になるということであり、「利他」というのは他人にも幸福になってもらうということです。「自利利他円満」というのは、自分が幸福になることが他人の幸福にもつながり、他人の幸福が自分の幸福にもなるということです。この教えは、「なるほど」と思う反面、実際は非常に難しいことです。何故なら、私たちは自分の幸福を得るために尽くすことはできても、それを後回しにし、他人の幸福のために尽くすといことが苦手なものです。ましてや、他人の幸福が必ずしも直接的に自分の幸福につながると思えなければなおさらです。しかし、他人のことをほっておいて、自分の「幸福」のみを追求すればどうでしょうか。皆さんそれで満足されるでしょうか。やはり「心の葛藤」が生じ、満足感、達成感を得ることはできないのではないでしょうか。
今回「尽くす」という言葉を伺い、「自分は尽くしているのだろうか」「自分の生き方のプライオリティ(優先順位)は何だろう」という自己に対する問かけとともに、「尽くす」ということは心の本質の働きであり、だからこそ豊かな心があってはじめて人生は「豊かな」ものとなる。逆になければ「尽くす」ということが自分の人生を不幸なものにするかもしれないと考えさせられました。豊かな心を持ち、「尽くせたな」と思える人生を歩みたいものです。
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