先日「人間になるということ」というテーマでとある講義を受けました。
生物学的な意味合いでの人間。社会生活を営む上での人間。もちろん答えのない問いではありますが、様々な観点で「人間になるということ」について考えることができ、非常に有意義な時間となりました。
広辞苑では、「人間」という言葉は、「じんかん。人の住む所。世の中。世間。」と記されており、生き物としての「人間」だけではなく、人と人との関係性や社会生活、「人」を取り巻く様々な概念を表す言葉だと理解することができます。では、他者と良い関係性を構築し、社会的に「全う」に生きることが「人間になること」だとするならば、その「良い」や「全う」の基準はどのように決まるのでしょうか。
現在、日本のみならず、世界中で予測不可能な様々な事態が起こり、大変な混乱状態にあります。そんな中で、「こうあるべきだ」「これだけは譲れない」と、それぞれの「良い」「全う」言わば「正しさ」がぶつかりあっています。現代の社会は、様々な情報が行き交い便利になった反面、その多くの情報が錯綜し、他者に排他的になってしまう傾向が否めません。「人間になることとは何なのか?」即ち、そこに答えを求めようとすればするほど、その行為そのものが、非常に危険なのではないかと感じてきました。私たちは「自分にとっての普通、当たり前」いわば「見方のクセ」にこだわって、それ以外のものを認めることが苦手です。仏教ではこの「見方のクセ」を「分別」といい、それにこだわることを「執着」といいます。
「執着」は、「恒常不変な私が存在する」という思い込み、すべてを自己中心的に見てしまう我執(がしゅう)から生じます。他者と良い関係性を構築するには、根底に「他者との違いを認めること」が必要で、自分の「見方のクセ」「分別」を見直していかなければなりません。「自分の分別から自分自身を解放していく」とも表現できるかもしれません。そして、それは結果的に自分の可能性や価値を見出すことにもなります。まずは「執着する自己」から離れ、他者、相手を認めていくところ、受け入れることが大切であり、それが「人間になること」や、「目指すべき世の中、社会」に向けた一歩になるのではないでしょうか。(宗教部)
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