今年のNHK大河ドラマは「鎌倉殿の13人」です。三谷幸喜さんの巧みな脚本のもと、北条義時役の小栗旬さんをはじめ、源頼朝役の大泉洋さん、北条時政役の坂東彌十郎さん、北条政子役の小池栄子さんなど魅力的な俳優さんの好演もあり、これまでの鎌倉時代をテーマとした作品とは大きく趣を変えたものとなっています。例えば、これまで粗野で荒くれ者の田舎武者との描かれ方が多かった木曽義仲も、青木崇高さんが熱演する今回は、礼節をわきまえ、武士としての信念を持ったカッコイイ源氏の一門として描かれ、息子の義高と源頼朝の娘の大姫との切ない物語や、義仲と別れた後少しずつ変わっていく人間味のある巴御前など、さまざまな伏線を張り巡らし、権力の座を巡る武士たちの駆け引きとホームドラマが巧みに交錯したとても見ごたえのあるドラマになっていると感じています。残すところあと10話少々となりました。これから年末のクライマックスに向けて承久の乱が描かれることとなると思いますが、どのように描かれるのか楽しみにしています。
さてこの鎌倉殿の13人を見ている中で考えさせられる場面がありました。それは、若年にして新たに鎌倉殿となり、その重責と自分の思いとの狭間で悩む源実朝に対し、大竹しのぶさん演じる歩き巫女が「お前の悩みはどんなものであっても、それはお前ひとりの悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな。悩みというのは、そういうものじゃ。お前ひとりではないんだ」と語りかけるシーンです。この言葉を聞き、源実朝は涙し、少し気持ちが楽になったようでしたが、皆さんはどのように感じられたでしょうか。
私たち一人ひとりにはそれぞれ「我」があり、我を張りながら生きていますが、この「我」は生きる上での「苦」でもあります。我と我のぶつかり合いです。だから私たちは自分の「我」を張るための居心地の良い環境として、友達やグループ(集団)を作ります。しかし、この居心地の良い環境であるはずの友達やグループが、他のグループとの諍いを生じさせることもありますし、グループ内の結束を高めるためグループ内の異質な者を見つけ排除しようとしてしまうこともままあります。相手の「我」を張らさない、認めない、いわゆる「いじめ」と呼ばれる行為です。これらは本当にやっかいな問題で、ライフステージの全ての場面で私たちを悩ませる問題です。
こうした「我」の問題に対し、親鸞聖人は「皆共に」というお考えを示してくださっています。阿弥陀如来の世界に生きられた親鸞聖人は、阿弥陀如来が無量寿であり無量光、すなわち時間的にも空間的にも「はかれない」ということに頷かれました。「はかれない」ということは境界がないということです。つまり阿弥陀如来の世界には「私の友達」や「私のグループ」といった仕切りがなく、そこに住まう者すべては「独立者」です。また仕切りがないということは一の阿弥陀如来が私たち全てとそれぞれ向き合っているという関係でなく、一の阿弥陀如来に対して一の私という一対一の関係を意味しています。こうした阿弥陀如来の世界に頷くことができれば、私たちは独立者であるがゆえ他者に依存せず、他者を排除せず、他者を利用しない、すなわち皆が対等であり、平等である「皆共に生きる世界」が開かれます。こうした世界を歩まれたのが親鸞聖人です。このように考えますと、鎌倉殿の13人に出てきた「お前ひとりの悩みではない。はるか昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。この先も、お前と同じことで悩む者がいることを忘れるな」という言葉は、一人ひとりはさまざまな悩みを抱える同じ独立者であり、「お前は皆共に生きる独立者が集う世界を生きているのだよ」と語りかけてくださっている阿弥陀如来の言葉のように感じられます。これが浄土真宗で言う「同朋」ということだと思いますし、同朋の道を歩むかどうかを私たちに問いかけてくださっているように感じられました。皆さんはいかがでしょうか。
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