生死の流れを無益に経巡ってきた。中村元訳(『真理のことば』153)
私とは仏教の開祖釈尊を指している。六年の修行の末に、悟りを開いたとされる彼が、やがて人々に法(真理)を説く旅に出、自らの過去を振り返って語られた言葉の内容は意外なものであった。というのも、王子として生まれた彼が、これまでにもいろんなものに生まれ、何度も死の苦しみを味わってきたと言うのだ。
私たちは生を「一生」と考えるが(ある意味でそうなのだが)、釈尊は「幾多の生涯」と言う。しかも、彼は無益に生と死を繰り返してきたというのだ。もちろん、私たちも例外ではなく、始めとて分からない遠い過去から、いたずらに世々生々を繰り返してきたということだ。しかも、私たちが生死に迷う衆生であるとの自覚もないまま、輪廻転生を繰り返していることを知らせんがために、釈尊は自らの出自を例に出したのであろう。
すると、ここに死し、かしこに生き(空海の言葉)、生死の流れを無益に経巡(へめぐ)っている私たちが目指すべきは、この生死の獄(同上)から如何にして離れるかということになるであろう。それは『歎異抄』に「われもひとも、生死をはなれんことこそ、諸仏の御本意にておわしませば」とあることからも明らかである。そして、この生死の流れを渡り切ったところを仏教は彼岸(涅槃)と呼ぶが、過去に輩出したであろう幾多の仏たちは、空しく生死の波に翻弄される私たちを生死輪廻する世界(此岸)から涅槃の世界(彼岸)へと連れ戻そうとしているのだ。(可)
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