「人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。」
これは「無手無足」という自らの障害を受け入れ、明るく生きることで人々に生きる力と輝きを与えた偉大な人物、中村久子さん(以下、「久子」)の言葉です。
久子は、明治30年、岐阜県高山市で生まれました。3歳の時に、凍傷がもとで突発性脱疽となり、左手が手首から崩れ落ち、脱疽が転移していた右手と両足を切断、両腕の肘から下と、両足の膝から下を3歳の時に失うという絶句するような過酷な人生を背負わされます。
障害者でありながら、自立した人として強く生き抜いた久子という女性の強い心と輝きを感じます。そして、どんなに辛くて苦しくても、自立し周囲と対等に付き合える自分になるという決意に自分の境遇をしっかり引き受けてそこから立ち上がっていく様子が窺えるのではないでしょうか。
私達は、日常生活の中で知らず知らずのうちに、自分と他人の違いを区別したり比較したりします。他人との生活や仕事、学歴、容姿・・・。挙げればきりがありません。それはやがて自他を比べて妬んだり、うらやんだりするようになり、私達はどんどん苦しい状況になってしまいます。久子は、両手両足がないのが私自身であり、人と比較してどうなるものでもないことを身を持って知らしめてくれています。そして、「仏様から賜った体」や「両手両足がない体のお蔭でかけがえのない人生を豊かに生かせて戴いた」という久子の言葉から全てを引き受けて生きられた力強い「信」というものが私達に伝わってきます。
「どんなこところにも必ず生かされる道がある」
念仏者として生きた久子のこの言葉が、私自身に試されているような気がします。(宗)
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