自宅には少なくとも1つは鏡があるのではないでしょうか。私たちは、出かける前にはどんなに急いでいても1度は鏡の前に立ってみないと不安なことはありますね。これから人前へ出るのですから、まず服装は?髪型は?お化粧は?というように1度鏡を見て確認しなければ安心はできないものです。鏡も見ずにさっと家を出ることができる人はよっぽど自分の容姿に自信があるのかもしれません。私は完璧。いつも大丈夫。しかし、この大丈夫という言葉が一番危ないのではないかと思います。鏡は外面の姿を映し出すものとして使われます。
しかし、残念ながらいくら高価な鏡でも自分の心を映し出すことはできないのです。鏡を見て身だしなみは整えますが、自分の心を見ることがあるのでしょうか。自分の心は見えませんし、実はありのままの自分の心は見たくないものです。
今月の言葉は、中国の僧である善導が『観経疏』の中で「お経は鏡のようである。」と記されています。つまり、お経の教えは自分の心を映し出す鏡であると・・・。お経とはお釈迦様が私たちに説いて下さった真実の教え、いうなれば、現代の私たち対してのメッセージです。
お経という鏡は、普段は上手に隠している、本心とか本性というのがあぶり出されてきます。。。自分が見たり聞いたりしたものは絶対に間違いないという、根拠のない自信で自分は決して間違わない、間違っていないと思って暮らしているのが私たちです。すると一生、相手を責めることで終わってしまいます。自分のことには気がつくことがないのです。ですから、私たちは、他人のことはよく見えるのですが、自分のことはなかなか見えません。だから、私たちには生活の中に教えという「鏡」が必要なのです。
鏡を見るときには自分の都合の良い面しか見ません。あるいは、人から良く見えるように体裁をしっかり整えます。そのような見方で鏡(経)を見て、映った自分の姿を見ても、私の本当の姿は見えて来ないのです。鏡は、私の姿を映し出すと共に、私を照らし出してもくれます。「鏡」の喩えは、光に照らされている私であるということを表現されているわけです。
私たちが自分をしっかりと見ようとする時には、見るための鏡が必要であることを確かめましたが、お釈迦様によって明らかにされた教えが、私たちの内面を見る鏡となるのです。その鏡で自分をしっかりと見て大事な教えとして次の世代に伝え、またその喜びをさまざまに表現することが3500年もの間、脈々と続き、現在に至っているのです。
経は自らを映し出す鏡であり、私たちの心の暗闇を照らす鏡である。その教えを通して日々の生活の中でしっかり振り返り、自分を見つめことが大切なことではないのでしょうか。
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