鳥は飛ばねばならぬ 人は生きねばならぬ
我が家の居間に掛けられていた一幅の詩。物心のついた私は不思議さを憶えたものです。
鳥は飛び、人は生きる。
この極めて当たり前のことが、改まって書かれていることにも・・・。
この詩が、作者の荒ぶる強い筆圧によって書かれていることにも・・・。
しかし、齢を重ねるにつれ、私には、「ねばならぬ」と書かれたこの部分が心に染み、響いてくるようになってきたのです。
私たちは奇跡に近い確率でこの生を頂き、その授かった命を全うする中で、喜怒哀楽を繰り返します。
時には喜び、時には哀しみ、困難に直面し、乗り越えねばなりません。
大いなる力に支えられ、身近な方々に助けられ、人は生きていきます。
「人は生きねばならぬ」
それは、義務や使命からくるものだけではないでしょう。むしろ、感謝や御恩がそうさせるのではないでしょうか。
様々な支えや助けによって生かされてきたからこそ自分は生きねばならないと思えてくるのです。
さらには、単に生きるのでなく、「豊かに」生きねばならないのだと思われます。
そう思える人生を、御同朋・御同行として俱に歩みたいものです。それが浄土真宗の精神に通底するものではないでしょうか。
さて、この詩は、次のように続きます。
怒涛の海を
飛びゆく鳥のように
混沌の世を
生きねばならぬ
鳥は本能的に
暗黒を突破すれば
光明の島に着くことを知っている
そのように人も
一寸先は闇ではなく
光であることを知らねばならぬ
新しい年を迎えた日の朝
わたしに与えられた命題
鳥は飛ばねばならぬ
人は生きねばならぬ
「一寸先は闇ではなく 光である」
そんな強い心をもった生き方を
御縁のある皆さんと倶にできればとお念じ申し上げます。
(宗教部)