他の多くの人々は此岸でさ迷っている。中村元訳(『真理のことば』85)
彼岸という言葉を人は知っているだろう。しかし、その対極にある此岸を知る人は少ない。彼岸とは、春秋のお彼岸に、亡き近親者を偲ぶように、死者が行きつく所と思われている。それに対して、私たちが今いる所を此岸という。しかし釈尊は、彼岸に達する人々は少ない、と言う。その意味は、死者の誰もが彼岸の世界に到達するのではないということだ。浄土教的に言うと、死ねば誰もが浄土に帰る(還浄)とは限らないということだ。
それは当然のことで、釈尊は此岸の世界でさ迷っているわれわれに彼岸の世界があることを示し、そこに至る方法(道)を説いたのだ。彼岸と此岸を涅槃の世界と生死輪廻する迷いの世界と言い換えると、釈尊は私たち人間を生死輪廻する迷いの世界(此岸)から涅槃の世界(彼岸)へと連れ戻そうとしていたのだ。だから、私たちもいつかその道(それを仏道という)を辿るのでない限り、彼岸に達することはありえないし、何よりも、死ねば誰もが彼岸に到達するというのであれば何も問題はなかったはずだ。
それはともかく、彼岸に達しなかった死者はどうなるのであろう、と疑問に思う人には次のように言っておこう。本当に彼岸(涅槃の世界)に到達するのでない限り、誰もが行きつく死後の世界もまた(それを親鸞は後世と呼んだ)、此岸(迷いの世界)の一つに過ぎないということを。ともあれ、この短い釈尊の言葉の中に、ややもすれば誤解されやすい仏教のエッセンスが纏められている。(可)
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