自らを「大乗」と名乗った最初の経典は『般若経』だと言われています。その『般若経』では、大乗とは量られないものであり、無量無数の衆生を入れる余地があるから、大きな乗り物(大乗)だと説かれています(『八千頌般若経 I』梶山雄一訳、1974、pp.36-37)。『般若経』に登場する菩薩は、衆生を限定することなく、一切衆生と共に菩提を求めます。
その『般若経』は菩薩の実践において分別を重大な問題としていきます。菩薩が、「私は衆生を導いた」という思い(分別)を起こしたならば、もはや菩薩ではないと説きます。菩薩は、すべてのものは空であると知り、分別を離れ、自らの判断でものごとを量ることがない存在だと示されます。
では、私たちはどうでしょうか。私たちはさまざまなものを見聞きし、いろいろな考えを起こします。そこでついつい自分の感覚・判断が正しいという錯覚を起こしていきます。
ここ最近もてはやされている「多様性」という言葉で考えてみましょう。ある授業で、学生さんが、朝井リョウの小説『正欲』に登場する超性的少数者が思いを吐露した文章を紹介してくれました。「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。時に吐き気を催し、時に目を瞑りたくなるほど、自分にとって都合の悪いものがすぐ傍で呼吸していることを思い知らされる言葉のはずだ」(朝井リョウ『正欲』新潮社、2021、p.188)。同書では「多様性という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、がある」(同書、p.6)と記され、社会のなかで溢れる多様性キャンペーンに対する違和感が綴られています。
「多様性を尊重する」と口に出すのはとても簡単ですが、生きていくなかで、この『正欲』の登場人物が叫ぶように、受け入れ難い、とても許容できない他者の考え・行動に出会うことがあると思います。そのとき私たちはその他者を見て何を思うのでしょうか。「あの人はおかしい。自分はおかしくない」と思い込み、判断しているのではないでしょうか。私たちが認める多様性とは、所詮自分自身の価値観で量れる範囲の浅薄なものになっているのではないでしょうか。軽々しく「みんなちがって、みんないい」と口にする前に、受け入れられないと考えてしまう自身の考え、自分の中にある差別心と向き合っていく必要があると痛感しました。
あらゆることに対して自分のものさしで量ることがない『般若経』の菩薩の姿と、救う衆生を限定しないという大乗の教えは、自らの価値観にとらわれ、限定してばかりいる自分自身を省察する視点を与えてくれるといえます。(宗教部)
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