「柱のきず」にさえ 自分を確認できた
わたしだったのに 今は「私が基準」となって
一人ぼっち (平野修『愛の目・愛の心・愛ある人』九州大谷短期大学刊)
わたしだったのに 今は「私が基準」となって
一人ぼっち (平野修『愛の目・愛の心・愛ある人』九州大谷短期大学刊)
この「柱のきず」は、「柱のきずはおととしの、5月5日の背(せい)くらべ・・」と歌われた『背くらべ』(詩:海野厚、曲:中山晋平)の一節にあるものです。歌は小学校唱歌として昭和28年から小学校3・4年生の教科書に掲載され歌われてきましたが、平成3年教科書から消えました。
しかし、なぜか耳の底に残り、懐かしく思われる人もおられるでしょう。
初夏の光に包まれ、生きとし生けるものすべてが生命の喜びを謳(うた)う中、一昨年(おととし)、兄さんが背丈をはかって柱につけてくれたしるし(きず)と比べて、今年までの自らの成長を確かめている、ほのぼのとした光景が目に浮かびます。この成長の確認はきっと背丈だけの確認ではなく、私には、生きとし生けるものの慈(めぐみ)の中での「心・身」ともの成長の確認であったと思えます。そこには、思い出のきっかけでしかないような柱の「きず」に、自らを見つめる純真な姿がうかがえないでしょうか。
いま、私たちは何を基準にして自分を確認していますか。
慈(めぐみ)を忘れた「自分(我)への執われ」「自分の都合」を基準にしていないでしょうか。常に自らを省(かえり)みる生き方をしたいものです。 (宗)
過去のことば
2024年
11月
9月
5月
4月
2023年
11月
10月
8月
7月
2月
2022年
11月
10月
9月
8月
7月
6月
5月
4月
1月
2021年
11月
10月
9月
8月
7月
3月
2月
2020年
11月
6月
2019年
12月
11月
8月
6月
5月
2018年
11月
9月
8月
5月
4月
3月
2017年
11月
10月
1月
2016年
12月
5月
2015年
11月
9月
1月
2014年
12月
5月
2013年
1月
2012年
2011年
11月
7月
2010年
9月
3月
2009年
12月
11月
8月
3月
2008年
12月
11月
2007年
11月
2006年
12月
11月
10月
2005年
12月
11月
10月
9月
2004年
2003年
2002年
2001年
2000年