吾人の世に在るや、
必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。(「精神主義」)
必ず一つの完全なる立脚地なかるべからず。(「精神主義」)
齢80になろうとする釈尊が弟子のアーナンダを伴ってある村に滞在していた。45年の永きにおよぶ教化の旅もようやく終りに近づき、その地で彼は弟子達に対して最後の説法をすることになる。それはおよそ次のようなものであった。「この世で自らを島とし、自らを拠り所として、他人をたよりとせず、法を島とし、法を拠り所として、他を拠り所としてはならない」(漢訳で「自帰依・法帰依」とまとめられているもの)。宗教は、問われるべきは自分自身であること、また問題があるとすれば、他でもない自分自身にあることを強く言う(もっとも、殆どの人にとって問題がどこにあるかが分かっていないのだが)。他者を批判する前に、まず自らを省み、自らを深く探求することの中に生の意味は明らかになると宗教は教えているのだ。そして、その意味とは<生死の苦海>(親鸞の言葉)に浮沈する私たち自身の中に本当に依るべき不動の真理が隠されているということだ。この依るべきところを釈尊は「島」と言い、依るべき真理を「法」と呼んだのである。それこそ私たちの立脚地であり、それを知りさえすれば、もはや私たちは生死の波に翻弄されることはない。
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