天台宗を開かれた伝教大師最澄(767~822)は、延暦二四年(805)、中国の正当な天台の教えを相承し、その正式な僧となる戒(円頓菩薩戒)をうけて天台宗第八祖となり、多くの仏典を携え帰国されました。帰国後、日本での天台宗立宗をめざされ、翌延暦二五年、最澄の僧としての活動と桓武天皇の病気平癒祈願の功績として、天台法華宗としての年分度者(毎年国家から得度を許される者)二人を賜わり、南都(奈良)仏教諸宗に並んで、日本天台宗(天台法華宗)の立宗独立が公認されました。最澄はさらに、南都諸宗の経・論の理解を主とし、自己の解脱(迷いの苦しみから解き放たれること)を目的とした自利的・小乗的な宗教的活動ではなく、生きとし生けるものすべては仏に生まれることが出来、成仏しない者はないと説く天台宗の実践的な救済の仏教を実現(大乗菩薩道を行ずる僧の育成)するため、大きな制度改革ともなる比叡山への大乗円頓戒壇設立をめざされました。その活動の一つとして、年分度者の資格に叶う僧侶の養成機関をつくるべく、その制式を作成されました。それが、『山家学生式』(正式には『天台法華宗年分学生式』)です。そして弘仁九年(818)嵯峨天皇へ奏上されました。今月の言葉はその冒頭に認められています。
国宝とは何か。宝とは道(仏道)を修めようとする心である。この道心を持っている人こそ社会にとってなくてはならない国の宝である。そして、古人の言として、「径寸十枚」(金銀財宝のこと)」があってもこれは国宝ではない。道心を持って「一隅を照らす」すなわち社会を照らす生活をする人こそ国宝である、と述べておられます。さらに、道心有る人のことを「西(印度)では菩薩と称す」といい、その行動は「悪い事は己が引き受け」「好い事は他に与へる」という「己を忘れて他を利する」という行いで「慈悲の極みなり」と評して、国宝=道心の有る人=慈悲の心ある人=一隅を照らす人の養成が目的であることを述べておられます。最澄の大乗菩薩道実現への思いが推察されます。
光華女子学園の「光華」は、『仏説観無量寿経』にある阿弥陀仏の浄土を表した「其の光、花の如し」の言葉を拠りどころとして名づけられました。この学園で学ぶ一人ひとりが、慈しみの心をもち、華のような光り輝く女性になってほしいとの願いからです。(宗)
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