今月の言葉は、親鸞聖人がその著『教行信証』の行巻の末に添えられた、念仏の教えを正しく信ずるための道理を顕わされた偈(うた)『正信念仏偈』にある言葉です。如来(お釈迦さま)が、この世に興出された(生まれられた)理由は、ただ、阿弥陀如来の海のように深くて広い本願の教えを説かんがためである。との意味です。この言葉は、親鸞聖人が「それ真実の経を顕わさば、『大無量寿経』これなり。」(『教行信証』教巻)と位置付けられた『大無量寿経』」のお釈迦さまの「出世本懐」(この世に生まれた理由・目的)のところに「群萌(衆生)を拯(すくい)恵むに真実の利(阿弥陀如来の本願の教え)をもってせんと欲してなり」と説かれています。
親鸞聖人は、二十九歳の時、この阿弥陀如来の本願念仏を信じ、その教えを人々に勧められる法然上人に出遭われ、それまでの自力往生の修業の道から、阿弥陀如来の本願念仏に身を任せる他力往生の道に回心(えしん=心の変化)されました。煩い・悩みから逃れられず、迷いの生活をしているのが人間(衆生)であり、親鸞聖人自身もその例外ではないとの目覚めがあったからと思われます。群萌の一人として自力往生の及びがたき身の親鸞聖人にとって、お釈迦さまの説かれた阿弥陀如来の本願による救いの教えは、まさに「恵」であり、救われるとの確信であったと思われます。そして、その教えをこの私、親鸞にまで伝えて下さった印度・中国・日本の七人の高僧方へのご恩と、教えとの出遭いを親鸞聖人は、深く喜ばれました。その「喜び」と「正しい信」を願って詠われたのが『正信念仏偈』なのです。親鸞聖人にとって、お釈迦さまはたまたまこの世界に生まれられ、たまたま仏になられて、人びとに教えを説かれた、ということではないのです。阿弥陀如来の本願を顕らかし、私たち衆生を救わんとの願いで生まれられたにちがいないと領解されたのです。
私たちは「師」や「教え」、多くの人々と出遭ってきました。その出遭いが自身の人生にいかなる意味をもつのか考えてみたいものです。(宗教部)
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