今、世界中の人々が日々不安に思われている新型コロナウイルス(COVID-19)ですが、感染拡大により世界中で多くの人々の生命が危機にさらされています。また、世界中の経済が低迷し、多くの企業等が倒産するなど、経済活動にも大きな影響を与えています。日本においても、全国に緊急事態宣言が出されたことで、企業等の休業要請や各種のイベントの自粛、一部の日用品が手に入りにくい状況など、希望の兆しはあるもののまだまだ社会生活に大きな影響を及ぼしています。さらに、学校が一斉休校になるなど、誰しも予測できず、今まで経験したことのない事態が現実に起こり、今なお制約のある教育活動を強いられ、教育現場や保護者、そして子供たちに混乱が広がり、不安を抱えながら日々生活している現実もあります。一方、世界中の研究者がワクチン開発を進めています。しかし、まだまだこのウイルスに効くワクチン開発には時間がかかるため、余計に恐怖が私達の生活に大きな影響を与えています。
ところで、そもそも私達は、どうして新型コロナウイルスが怖いのでしょうか。
私たちは、新型コロナウイルスに限らず、他の病気や怪我をした時、不安に思ったり、恐怖を感じたりするものです。その根底には、必ず、「死にたくない」という本能が働くからです。死ぬことが怖いから、可能な限り危険を回避し、生き延びようとする知恵が働くからでしょう。 しかし、当たり前のこととして、私たちはこの世に生を受けた以上、必ず歳を重ね、いつかは分からないにせよ、いずれは亡くなります。言うなれば、罹患率100%かつ致死率100%の病を患っているということです。 ところが、この当たり前のことを、我が身に起きる現実として素直に受け止められている人が、どれ位いるでしょうか。老いだけではなく、不慮の事故や災害で亡くなる人もあれば、自ら命を絶つ人もいます。つまり、明日、生きていることが約束されている人など誰一人もいないということです。
宗祖親鸞聖人の教えに「平生業成」という言葉があります。いわば真宗の「一枚看板」とされている非常に大切な言葉です。「平生」とは、死後の世界ではなく、生きている今現在ということです。「業」とは、人生の大事業のことです。言葉を変えれば、本当の生きる目的であり「何のために生きているのか」、「なぜどんなに苦しくても生きねばならないのか」という本当の生きる意味のことです。そして、「成」とは、達成するということです。人生には、「これ一つ果たさねばならないという大事な目的がある。それは死んでからでは間に合いませんよ、生きているときに達成できるから、早く達成させなさいよ」という教えです。もう少しわかりやすく言うと、臨終(死)まで極楽浄土に行けるか行けないのか分からないのでなく、平生に他力の信心を得たそのときに浄土に生れることが約束されるということです。決して、平生の行いの良しあしではありません。日々、阿弥陀様に感謝し、ご先祖様を偲びつつ、生きとし生けるものすべてに感謝する心を持って、精一杯生き、常に今何をすべきかを考えて生活するという「心掛け」一つが大切なのです。
私たちにとって、確かに新型コロナウイルスはとても怖い病気です。しかし、感染拡大が続いている「今だからこそ」、私たちはいつ死んでしまうかも分からない身の上であるということ。そして、その死が我が身に起きる現実として真摯に受け止める良い時期なのかもしれません。ぜひ皆様におかれましては、自分の命について省みる時にしていただきたいと思います。併せて、引き続き、自らの行動を含め、感染予防に細心の注意を払っていただき、健康にお過ごしくださることをお念じ申し上げます。(宗教部)
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