我はバラモンと呼ぶ。中村元訳(『ブッダのことば』400)
六道輪廻する身体を空海は「六道の苦身」と言ったが、現在、われわれが纏(まと)っている身体もその一つに過ぎないのだ(物質的身体という意味で「色身(しきしん)」ともいう)。そして、死とはそれを脱ぎ捨てることであり、生とは再び纏うことであるが、それに六種(六道)があり、闇路に闇路を踏みそえて、六道に輪廻しているのが衆生(人間も含む)といわれるものである。つまり、われわれは今、たまたま人間という衣装を身に纏って、この地上で夢を追い、世事に明け暮れるが、この保ち難い寿夭(じゅよう)のいのちが「苦身」の一つであることを知らない。
そこで、仏教は、この生死に迷うわれわれが真理に目覚めた覚者(バラモン)となるよう勧めているのであるが、悟るとき、人は具体的にどうなるかというと、生々死々する生存の矢を断ち切って、今生の生が最後の身体となるのだ。親鸞的に言えば、もはや世々生々に迷うことはなく、「滅度(めつど)」(涅槃)に至るということだ。 しかし、それは身体という、いわば物質的な存在の形式(次元)が終わることであって、あなたの存在までもが無に帰することではない。悟るとき、われわれは肉体(色身)の内側にもう一つの身体(真身(しんしん))があると知って(それを「身(色身)の外に身(真身)有り」という)、生死という肉体次元を超え、「これが私の最後の生存であり、もはや再び生を享(う)けることはない」と知るのだ。ところが、われわれは自らの内側に真身(法身(ほっしん))があるとも知らず、それこそ死の瞬間までひたすら身体(肉体)に執着するが、それがために、否、それだけの理由で、再び「血肉の皮」を纏う物質次元へと舞戻り、徒(いたずら)に生々死々を繰り返すことになるのだ。(可)
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