故に自分を整えよ。中村元訳(『真理のことば』380)
齢80になろうとする釈尊が弟子のアーナンダを伴ってある村に滞在していた。45年の永きにおよぶ教化の旅もようやく終りに近づき、その地で彼は最後のとても意義深い説法をすることになる。それは「この世で自らを島(灯明)とし、自らを拠(よ)り所(どころ)として、他人をたよりとせず、法を島(灯明)とし、法を拠り所として、他を拠り所としてはならない」(『大パリニッバーナ経』)というものであった(漢訳で「自灯明・法灯明」と纏(まと)められているもの)。
かつて釈尊は、弟子たちに、自らが生死の流れを無益に経(へ)巡(めぐ)ってきたと語ったことがある。その彼が、入滅を前にして、「自らを拠り所とし(自帰依)、法を拠り所とせよ(法帰依)」と彼らに諭(さと)した意味は何か、われわれは深く味わう必要がある。まず、なぜ彼は、自らを拠り所とせよと言うのだろう。それは、われわれ自身の内側にわれわれが帰趨(きすう)すべき生の源泉、あるいは不動の真理が隠されているからだ。その真理を仏教は法といい、それを知る時、まさに彼がそうであったように、われわれもまた生死の流れを渡って涅槃の世界へと帰って行く。が、そうできなければ、この世とかの世を空(むな)しく往来する迷道の衆生に留まることになるからだ。
すると、自らを拠り所とすることと(自帰依)、法を拠り所とすること(法帰依)は本質的に一つの事柄ということになろう。つまり、真理への鍵はわれわれ自身の自己であり、自分を整え、内なる真実に目覚めることが真理(法)をも知る(覚る)ことになる。かくして、自己の真実に目覚め、真の主となるとき、内も外も、見るもの全てが真実を顕わすが故に、釈尊はヴェーサーリーで、あの矛盾とも取れる、とても印象深い言葉を発したのだ。「この世は美しい、人間の命は甘美なものだ」と。(可)
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