「柱のきず」にさえ 自分を確認できた
わたしだったのに 今は「私が基準」となって
一人ぼっち (平野修『愛の目・愛の心・愛ある人』九州大谷短期大学刊)
わたしだったのに 今は「私が基準」となって
一人ぼっち (平野修『愛の目・愛の心・愛ある人』九州大谷短期大学刊)
この「柱のきず」は、「柱のきずはおととしの、5月5日の背(せい)くらべ・・」と歌われた『背くらべ』(詩:海野厚、曲:中山晋平)の一節にあるものです。歌は小学校唱歌として昭和28年から小学校3・4年生の教科書に掲載され歌われてきましたが、平成3年教科書から消えました。
しかし、なぜか耳の底に残り、懐かしく思われる人もおられるでしょう。
初夏の光に包まれ、生きとし生けるものすべてが生命の喜びを謳(うた)う中、一昨年(おととし)、兄さんが背丈をはかって柱につけてくれたしるし(きず)と比べて、今年までの自らの成長を確かめている、ほのぼのとした光景が目に浮かびます。この成長の確認はきっと背丈だけの確認ではなく、私には、生きとし生けるものの慈(めぐみ)の中での「心・身」ともの成長の確認であったと思えます。そこには、思い出のきっかけでしかないような柱の「きず」に、自らを見つめる純真な姿がうかがえないでしょうか。
いま、私たちは何を基準にして自分を確認していますか。
慈(めぐみ)を忘れた「自分(我)への執われ」「自分の都合」を基準にしていないでしょうか。常に自らを省(かえり)みる生き方をしたいものです。 (宗)
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