3月は、別れの季節といわれます。卒業や転勤、人事異動など、「さよなら」と向き合わされる時期です。そして時に死別もそうですが、寂しさや不安、後悔が胸にせり上がり、「もっとこうしておけばよかった」と心が揺れやすくなります。
浄土真宗の教えは、そうした別れの中で「何を拠り所にして生きるか」を静かに示してくれます。まず、別れによって露わになるのは、この世が「無常」、すなわち移ろいゆく世界であるという事実です。人間関係も、仕事も、健康も、永遠ではありません。
しかし親鸞聖人は、この無常の世を嘆くだけでなく、「だからこそ阿弥陀如来のはたらきに目が開かれていく」と受けとめました。※「自分の力ではどうにもならない」と知らされる だからこそ、阿弥陀如来の救いの働き(本願・慈悲)が見えてきて、気づき受け取れるようになっていく。
浄土真宗では、私たちの力や努力ではどうにもならない別れや死の現実を、「南無阿弥陀仏」という阿弥陀如来のよび声に照らされて受けとめていきます。別れの悲しみが消えるわけではありませんが、「どんな私であっても決して見捨てないいのちのはたらきが、すでに私を抱いている」という安心が、悲しみの底を支えてくれます。
また、亡き人との別れについては、「もう会えない存在」ではなく、「先にお浄土へ往き、仏となって私を照らし続けている存在」としていただきます。阿弥陀如来と同じく、亡き人もまた、私を仏法へと導くはたらきをしているといただくのです。
別れの季節は、出会いの意味を味わい直すときでもあります。「ともに過ごした時間は決して無駄ではなかった」と、仏縁として受けとめ直すことができたとき、別れは単なる喪失ではなく、これからの生き方をたずね直す大きなきっかけとなります。悲しみを抱えたまま、「南無阿弥陀仏」ととなえつつ歩むところに、浄土真宗の別れの味わいがあります。
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