今月のことばは、先日私がみたとある映画で目に飛び込んできた一言「生きているんだ」です。とてもシンプルでわかりやすい言葉ではありますが、何を以って「生きている」とするのか、また「生きる意味とは?」など様々考えさせられる一言でした。
忙しい毎日の中で、私たちは「生きる」ということを、つい当たり前のように受け止めてしまいます。朝起きて、通勤・通学、仕事や勉強、人間関係に追われながら、一日を終えていく。気づけば、「今日も無事に過ごせた」という実感よりも、「やらなければならないこと」に心を奪われていることがあります。
しかし、少し立ち止まってみると、私たちは今、確かに「生きているんだ」という事実に支えられていることに気づかされます。
浄土真宗では、人は決して一人だけの力で生きているのではなく、多くのご縁によって生かされている存在であると教えられます。食べ物や自然、家族や友人、名前も知らない誰かの「はたらき」によって、私たちの暮らしは成り立っています。そして何より、阿弥陀さまのはたらきに包まれながら、私たちは今、この命を生きています。このように考えられれば「生きている」ということ自体が、かけがえのない出来事なのだと感じることができます。
私たちは時に、「もっと頑張らなければ」「もっと立派にならなければ」と、自分を追い込みます。失敗を責め、人と比べ、「今の自分では足りない」と感じることもあります。しかし、浄土真宗の教えは、そんな私たちに「そのままのあなたでよい」と呼びかけています。うまくいく日も、そうでない日もある。迷い、悩み、不安を抱えながらでも、それでもなお、私たちは生きているのです。
「あるがまま」とは、何もしなくてよいという意味ではありません。弱さや不完全さを抱えた自分自身を否定せず、まずは「今、ここに生きている」という事実を受けとめることではないでしょうか。苦しいことや悲しいことも生きてこそ見える景色であり、誰かの優しさに触れることも、新しい出会いに心を動かされることも、生きているからこそできることです。
日々の慌ただしさの中で、自分が「生きている」ということを見失いそうになる時、一度深く息をして、「ああ、自分は今、生きているんだ」と静かに確かめてみたいと思います。
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