今月の言葉は江戸時代の曹洞宗の僧侶である良寛の言葉です。
良寛さんは江戸時代の末期1758年、越後の名主の長男として生まれ、18歳で出家し曹洞宗光照寺で修業を積まれました。22歳の時、玉島(岡山県倉敷市)円通寺の国仙和尚に師事し、国仙和尚の死後は越後に戻られ、各所の空庵を転々とされた後、国上山(燕市)にある国上寺(こくじょうじ)の五合庵に定住され、そこで約20年間を過ごされました。そして、60歳を前にして体力が衰えられてからは国上山のふもとにある乙子(おとこ)神社の草庵に移り住まれ、69歳の時に国上山を離れて、島崎(長岡市)の木村家に移住し、74歳でお亡くなりになられます。
このようなご経歴の良寛さんは、とても多くの方々に親しまれたお坊さんでした。普通のお坊さんのように、お葬式での勤行や、仏典を引用したさまざまな説法をされるわけではなく、空庵を転々とされる質素な生活を続けられ、一般の方々にはわかりやすく簡単な言葉で仏法をお話しされ、裕福な人々とは詩や和歌を詠み交わされました。また特に子どもを愛し、「子供の純真な心こそが誠の仏の心」といって子どもたちと一緒に遊び、戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながらお酒を好み、農夫と頻繁に杯を交わされたそうです。このように良寛さんは、老若男女や貧富等によって人を分け隔てする事が無く、誰とでも、優しく温かい気持ちで触れ合われたので、その人柄に接した人々は皆、穏やかに和んだと言われています。
今回ご紹介する言葉は、良寛さんが晩年、和歌のやり取りを通じ心温まる交流を続けられた弟子の貞心尼が、良寛さんとの和歌のやり取りをまとめられた歌集「蓮(はちす)の露(つゆ)」に出てくる良寛さんの言葉です。
貞心尼が、高齢となり死期の迫ってきた良寛さんのもとに駆けつけると、良寛さんは辛い体を起こされ貞心尼の手をとり「いついつと まちにし人は きたりけり いまはあいみて 何か思わん」と詠まれました。そして最後に貞心尼の耳元で「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」とつぶやかれお亡くなりになったそうです。この歌には「あなたには自分の悪い面も良い面も全てさらけ出しました。その上であなたはそれを受け止めてくれましたね。そんなあなたに看取られながら旅立つことができます」という貞心尼に対する深い愛情と感謝の念が込められているのではないでしょうか。この最後の「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」について、貞心尼は「この歌は良寛さんご自身の歌ではないが、師のお心にかなうものでとても尊いものだ」おっしゃっておられます。良寛さんの着飾らなく真摯な人柄に触れ、心が和み、幸せな気持ちになる、そんな歌ではないでしょうか。(宗教部)
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